2018年のノーベル医学・生理学賞を本庶佑さんが受賞したが、
現在この受賞に関して思わぬ事が話題となっている。

NHKの公式HPで「まるわかりノーベル賞」として、
いわゆる「萌え絵」のキズナアイというキャラクターが、
男性の教え手に対して受賞内容などを教えてもらう聞き手になる
という形式の解説サイトをオープンしたのだ。

これをきっかけに筆者が最近始めたツイッター界隈含めネット上でその是非が議論となっている。

議論の主な論点は概ね「女性差別になっていないか」という点だろう。

その中でも筆者は、具体的な論点は2つ(おそらく相互に関連する)あると考える。
1つ目は、「萌え絵そのものが社会的に許容されるものか」であり、
2つ目は、「萌え絵キャラクター(女性)が男性に教わる形式に
なっている点が、女性のジェンダーロールを演じている点」である。

ここでは、なるべく公正にこれらの問題を考えてみたい。

まず、この「萌え絵」問題について考える時に筆者が思い出すのは、
約15年程前、筆者が大学院生時代に初めて2か月間海外(アラスカ大学)
に行った際に仲良くなった現地の大学院生John君だ。
彼は、いわゆるオタクで、コンピュータに詳しく、
数値シミュレーションを専門とする筆者と一緒に作業をする機会が多かった。
そんな彼がある日「日本人が最近開発したBESM(big eyes, small mouth)はすごいね」
といって目をキラつかせて「萌え絵」の走りのようないくつかの絵を見せてくれた。
「アラスカに似ていると聞いた日本の北海道に住んで日本人と結婚したい。」
彼は同時にそんな事も話していた。
私は当時はあまり彼の言う言葉の意味を分からなかったが、
いやゆる「萌え絵」というのはこの辺りの時期から発展していったのだと思う。

萌え絵の大きな特徴の一つはJohn君の言うようにBESMであろう。
これはデフォルメされた漫画のキャラクターでも使われる特徴で、
言ってみれば「猫」的なかわいさがあるものだと思う。
なのでBESMは男性だけでなく女性にも一定の人気がある。
ここまでは差別が云々という問題ではないと考える。

しかし「萌え絵」にはBESMに加えて、
胸の強調や露出の多い服装などの「性的な強調」が加わっている。
問題になっているキズナアイしかりである。

ここまでを踏まえて、もう1度問題を整理すると、
この話題で議論すべきなのは、
「性的な強調を伴う萌え絵の表現は社会的にOKか」
「そのようなキャラクターが聞き手に回り女性のジェンダーロールを演じる事はOKか」
の2点となると考える。

ここで、冒頭のBESMの話題に戻るが、
BESMの最大の特徴は、文字通り大きな目と小さな口だが、
この大きな目が「人を信じる」印象を与え、
小さな口は、抗議しない「無抵抗」な印象を与える、
つまり、猫的なかわいさに加えて、
男性に対しては、現実の女性の平均に比べ「従順」な印象を与える、
と考えるのは飛躍しすぎだろうか。
メイドの服装などが多く見られるのもその現れではないだろうか。

多少強引な議論だが、ここから先は、
「BESMの女性の絵は現実の女性の平均に比べ従順な印象を与える」
この「仮定」の下で議論を進める。

筆者は、冒頭のオタクであるJohn君がBESMをすごいと感じたのも
この仮定についてだと推測する。
女性に何かコンプレックスを抱える男性が、
従順さを感じさせるBESMの絵に魅力を感じるのはとても自然な事だと思うし、
それを悪いともやめさせようと思わない。

しかし、この仮定が正しいとすると、
「萌え絵」を個人で楽しむのでなく社会に広める事は、
まず単純に「女性は従順である」という女性像を広める事に繋がるので、
性的云々を除いても差別の助長に繋がるだろう。
さらに同様のロジックで2点目の議論ポイントにおいても問題である。
「従順な女性」が「男性に教えてもらう聞き役に回る」という表現は、
従来の女性のジェンダーロールを強調することに繋がってしまうからだ。

そして筆者は、上記の仮定が正しいとすると、
1点目の議論ポイントも問題であると考える。
なぜなら、この仮定により「萌え絵」は、
「現実の平均に比べ従順な女性が性的な強調をしている」ことになるので、
すなわち、
「男性の性的要求に従順に答える事を期待させる表現」になりえるからである。

あまり詳しく想像したくないが、例えば人によっては、
性的に強調された恰好を男性に強要されても嫌がらないキャラクターに感じるかもしれないし、
性的な要求を従順に受け入れる気があるような表現、と感じるかもしれない。

いずれにしても、「従順な女性」の「性的な強調」を伴う表現について、
「基本的に従順だが男性からの性的な要求に対してだけは従順ではない」
と思わせる表現であると解釈するより、
「男性からの性的な要求に対しても従順」
と思わせるための表現と解釈する方が自然であると考える。

(この解釈については議論の余地があると思うが、
「萌え絵」の多くが甘えるような、または、物欲しそうな表情をしている事も
この解釈を支持していると考える。
実際に「萌え絵」に魅力を感じる男性もこの解釈には同意し、
まさにこの点を気に入っているのではないだろうか。)

上記のように現実ではまず女性が従順という固定観念こそが問題な訳だが、
仮に例え従順そうに振る舞う女性がいたとしても、
その女性が性にも従順ある理由は何もなく、
何もかもが間違いである事は留意したいが、
筆者は、John君が日本に来て日本人と結婚したい
(ここでの結婚の希望は性行為への欲を含むと考える)
と感じたのも、日本には性も含めて従順な女性が多くいるに違いないと、
「萌え絵」の影響による非現実的な誤解をしてしまったからであると考える。
John君の発言は、「萌え絵」にはそういうすり込みをしてしまう力がある
一つの証拠ではないだろうか。

このように、「性的な強調」を伴う「萌え絵」は、
「女性が男性の性的要求に答える、また性的欲求を満足させるために存在する」
これを強調する表現になってしまっている、つまり、
「女性は、自らの欲を満たす対象として扱ってもよい存在である」
という差別を助長する表現になってしまっている訳である。

まとめると、筆者は、「萌え絵」が聞き手に回る今回の表現は、
「BESMの女性の絵は現実の女性の平均に比べ従順な印象を与える」とした仮定が正しい限りは、
「社会的かつ性的両面における女性のジェンダーロールを強調する表現」となっているため、
これを社会に公に公開する事は控えるべきだと考える。

注意したいが、もちろん「萌え絵」を個人的に楽しむ事は問題はない。
「萌え絵」を取り締まるような法律などもちろんなく違法でも何でもない。
筆者はただ、「差別のない社会」を目指すという観点からは、
上記のように、今回NHKがしているように、
「聞き手」に回る「萌え絵」キャラクターを社会に広める事は控えるべきであると考える。

また最後にもう1点加えると、
このような議論に対して「それくらいで過敏になりすぎではないか」
という意見は必ずある訳だが、
筆者は、このブログで何度か述べているように、
現在は差別社会から反差別社会への過渡期であり、
だからこそ「過敏」にならないといけないのだと考えている。

例えば、アジア人を示すつり目のジェスチャーを誰かがしたとして、
バリバリに差別があるアジア人に人権などない社会なら、
差別する側が絶対な訳で社会的に問題は起こらず、
逆にもし差別が全くない社会なのであれば、
その社会ではつり目に何のネガティブな要素がないため、
そもそも誰も気に留めないので何の問題ないが、
差別の残る過渡期の社会では、差別する強者側だけでなく差別される弱者側も人権のある中で、
強者と弱者を強調する表現となり、その差を広げる事に繋がるのでアウトである。
過渡期というのは、そう言う神経質な時期である。
なので「それくらい」と言えるのは、差別がなくなった後の話である訳で、
過渡期である現在は残念ながら上記の議論のように「過敏」にならねばいけない訳である。
差別がなくなった社会を気取りたい気持ちも分かるが、
「過渡期」である現実をしっかり意識して行かなければいけない。

皆さんはどう思うだろうか。